雑誌『Hana*chu→』でデビューし、『Popteen』を経て『PopSister』の専属モデルとして活動、同世代の女性を中心にカリスマ的な人気を誇る菅野結以さん。現在は『LARME』『with』レギュラーモデル、アパレルブランド『Crayme,』ならびにコスメブランド『baby+A』のプロデュースのほか、ラジオのパーソナリティーなど様々な分野で活躍されています。無類の読書家&音楽好きとしても知られ、あちこちの音楽フェスやライヴ会場にも足繁く通う彼女。そのバイタリティあふれる行動力は、どこから来ているのでしょうか。半生を振り返ってもらいました!

一人で色んなカルチャーに貪欲に出会いに行った小学校時代

菅野さんがファッションに目覚めたキッカケは?

ファッションへのモチベーションは、小学生のときがピークだったかもしれないです(笑)。お小遣いやお年玉を貯めて、土日になったら毎週原宿に行って、ラフォーレに入っている好きなブランドの服を買うのが楽しみで。当時は『Petit Seven(プチセブン)』とか、『Popteen(ポップティーン)』とかを読んでいましたね。

ファッション以外のことにも、当時から興味があった?

色んなことにすごく興味がありました。音楽もそうですし、文学や絵画もすごく好きで。小学校のときに、いまの自分のベースが形成された感じがします。でも、学校が苦手で友だちも少なくて、学校でのルーティーンが自分に合わないと思ったりしていて。休み時間になったら図書室へ行って本を読み漁り、学校が終わったら絵画教室へ行って絵を描いていましたね。すごく貪欲に、一人で色んなカルチャーに出会いに行っていた時期です。その中の一つがファッションだったんです。

音楽への興味は?

姉に連れられてよくライブハウスへ行っていたんですけど、そこで流れていたマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「Only Shallow」に衝撃を受けて。今まで聴いたこともないようなサウンドでした。当時は携帯もなかったから、誰の曲か分からず、色んな音楽雑誌を調べつくして、ようやくわかったときには思わず「これだ!」って叫びました(笑)。そこからシューゲイザーと呼ばれるジャンル、ジーザス&メリーチェインとかライドとかが好きになって。他にもシガー・ロス、レディオ・デプトなんかも好きになりました。2014年に出したブランドブック『about a girl』は、ニルヴァーナの曲名から取ったんですよ。

クリエイティブなことに興味を持ったのもその頃から?

絵を描くのが好きでした。「ものを見て描く」のは苦手だったんですけど、頭の中に思い浮かんだイメージをバーッとたくさん描いて、それを束にして一つの絵にしていく作業がすごく楽しくて。そうやって、頭の中のことをカタチにしていくことに快感を覚えました。

「あ、可愛く撮れてる!」って思ったことは一度もないんです

読者モデルになったキッカケは?

中学生のときに109の前で声をかけられるっていう、すごくベタなキッカケです(笑)。本当にこんなことあるんだ、って思ったんですけど、そのときに声をかけてくれた方が、当時よく読んでいた雑誌『Cawaii!』の妹版『Hana*chu→(ハナチュー)』を作ると聞いて、呼ばれるがまま行って。でも、創刊号を見て絶望しました。

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それは、どうして?

本当に可愛くないし、太っているし. . . 。自分の悪いところが見えてしまったというか、現実を突きつけられた感じがして悔しくて。「次の撮影までにもっと可愛くなろう!」と思って、美容とかファッションの研究をしていくようになりました。「あのときの気持ちを何とかしたい!」という思いが原動力の一つになっていると思います。

そうだったんですね。

今もまだそのコンプレックスを完全には払拭できていなくて。以前よりは軽くなってきていますが、自分の写真を毎回見るたびに「悔しい!」っていう気持ちはあります。「あ、可愛く撮れてる! よかったな」って満足できたことは一度もないんです。自分のスタイルブックも、発売して1年くらいは冷静に見られない(笑)。

本格的にモデルとしてやっていこうと思ったキッカケはありましたか?

当時私が出ていたpopteenという雑誌は「専属モデル」というシステムがなかったので、いつ呼ばれなくなるか分からないっていう危機感の中でやっていたんです。周りの友だちはどんどん就職していくし、自分も他の仕事に就こうかどうしようか悩んだりもしたんですけど、その時期にTHE YELLOW MONKEYの「SO YOUNG」を歩きながら聴いていて、「終わりのない青春を選ぼう!」って決めました。

エモいですね!

(笑)。The Pillowsの「Funny Bunny」の歌詞も大好きで。「キミの夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ」って。その頃に好きで聴いていた色んな音楽に、自分の正直な気持ちを教えてもらったと思うんです。それと、ちょうどその頃に親が離婚して、母親が困っていたので「一緒に住もう」って東京に呼んだんですね。そのときに「私が養っていく」って決めたので、そこで覚悟ができましたね。